「いただきます」生命をいただいくことに感謝して食事すること

2019/05/03

「~させていただきます」というように、へりくだって丁寧に表現するときに使われるこの言葉。

 

平成になってから定着したようですね。

 

さて、

「いただきます」

 

単体だと食事のときに使われますよね。

 

習慣になってしまって何も考えずに言っている方や、もしくは最近言ってないな~という方もいらっしゃるかもしれません。

 

常日頃から、美味しい食事をお腹いっぱい食べられることに感謝しなくては、と私は思います。

 

まず、他の命をいただいているということ

 

それから、作ってくれた人にも感謝です。

 

 

 


 

 

 

 

私は合鴨を自分で絞めて調理して食べたことがあるのですが、そのとき、本当に命のありがたさを実感させられました。

 

私を生かすためにその合鴨は命をくれたのです。

 

生きている動物を殺して食べるというのは、直接的なので実感しやすいですが、実際にはたくさんの生き物が既に食べられる状態で売られています。

 

普段からそのことを忘れてはいけないと思います。

 

だから、食べ物を粗末にしたくないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はネパールの山奥の村にホームステイしたことがあるのですが、もちろん冷蔵庫なんてないし店もないので、肉を食べるときは自分で絞めなければなりません。

 

だから、滅多に食べられない本当のご馳走でした。

 

そして穀物や野菜など、ありとあらゆるものが自給自足でした。

 

ですから、保存食としてとって置けるもの以外は、季節のもの、旬のものしか食べられません。

 

毎日ほとんど同じ材料で、同じメニューでしたが、少しだけスパイスを変えたりして味に変化をつけ、食事を楽しんでいました。

 

選択肢が少ない分、ほんのちょっとの変化がおいしく感じられました。

 

気候も温暖なため、作り置きというのができないため、毎回食事の度に囲炉裏に火をおこして調理しなければならず、手間はかかりますが、無駄は出ません。

 

「レンジでチン」なんてこともできないので、食事のときは家族みんなが必ず集まります。それもいいなぁと思いました。

 

現代の日本の生活からはかけ離れていますが、便利になった分、無駄になっていることも多いのではないでしょうか。

 

保存料がたっぷり入っていたり、冷凍保存できたり、便利なのですが、食べられなかった分は結局廃棄されてしまいます。

 

「もったいない」

 

他の生物の死が無駄になった瞬間です。

 

私はできるだけ、余分なものは買わないようにしています。

 

外食するときも、残さないようにしています。

 

美味しいご飯が食べられることへの感謝を、いつも持ち続けていたいと思っています。